二十四節気 シェフならぬ日本の知恵
今から145年以上前の明治5(1872)年12月2日、日本の暦は、「太陰太陽暦」から現在の太陽の周期で暦をよむ「グレゴリオ暦」に変更されました。
それまで日本で1200年間使われてきた「太陰太陽暦」は月の満ち欠けと太陽の動きに連動した暦でした。
月の一(ついたち)日はかならず「新月(細い弓形の月)」で15日に「満月」となり、再び「新月」にな るまでの周期28〜30日間が一ヶ月間とされていました。
第1日目を「月の始まり=月立 ち(つきたち)」が転じて「ついたち」と呼ばれたことからも旧暦が「月」を中心にしていたこ とがわかります。
二至二分四立
旧暦では、1年を二十四等分して「二十四節気」(1 節気は約15日間です)と呼び、季節を表現しました。1 年の大きな区切りとして、真ん中の6 月と最後の12 月に夏至と冬至の二「至」があり、そのそれぞれの中間に春分と秋分 の二「分」が、そして春夏秋冬の始まりには四つの「立」 があります。この八つの大きな季節の区分を「二至二分四立」と呼びます。
二十四節気の名称には、その時期の季節の「感覚」や 「匂い」が読み込まれていて人々が季節を実感できるようになっていました。
七十二候
さて、それではなぜこの二十四節気をここでご紹介しているかということですが、この二十四節気15日間をさらに5日間づつの「初候、次候、末候」の三つに分割した「七十二候」というものがあります。
昔の日本人がなぜ1年を72に分けたかといいますと、それは72候を季節ごとに行う作業「種まき、刈入れ、収穫」などの日程の目安としたからです。
例えばこの時候「小満/5月21日から6月5日」は、初候「蚕起桑食(かいこおきてくわをはむ)/5月21日から5月25日」、次候「紅花栄(べにばなさかう)/5月26日から5月31日」、末候「麦秋至(むぎのときいたる)/6月1日から6月5日」になります。
農家の重要なひとつの仕事であった「養蚕」は、5月から6月の2ヶ月間の短い農閑期に行なわれました。この短期間の中で「蚕起桑食」は重要なサインとなりますし、藍染の蓼藍と同様に染料として需要のあった「紅花」の開花時期「紅花栄」もまた農家にとっては、重要なものです。
麦の穂が実り刈り入れの時期を知らせる「麦秋至」も同様です。
これは、米作や野菜を育てる農家にとってはとても大切なことであって、農作物の出来具合にも大きな影響を及ぼします。
ですからこの農作物を食材とする日本における料理と二十四節気、七十二候は密接に繋がっているのです。
これまで二十四節気と七十二候によって料理人は「旬」を知り「旬の食材」の出物に合わせて献立を考え調理をしてきました。
和の食
私ども日本人は 自然とともに生き
自然の中で生かされている という気持ちで日々を暮らしております
春夏秋冬 移ろいゆく季節の中で
四季折々の旬の食材 旬の命をいただく という想いを胸に
料理人は調理し お客様にお召し上がりいただいております
和食をはじめ、中華も、フレンチも、イタリアンも
日本の料理人は みな同じ想いで調理をしております
これが 日本料理の 真髄ではないでしょうか
自然の恵みからいただいた 日本で作られた料理を 二十四節気とともにご紹介していきたいと思います