小暑_令和元年7月7日から7月22日まで
夏至を境として日脚は短くなりますが、暑さは徐々に増します。
この時候の挨拶状に「暑中見舞い」がありますが、〝暑中〟とは「小暑(7月7日)」から「大暑(7月23日前後)」と「立秋(8月7日前後)」のあいだの一ヶ月間を指すため、この期間内に書状を送るのが正しいとされています。
小暑は〝たなばた〟にあたりますが、これには「伝説」としての〈七夕〉、「神事」としての〈棚機〉、「宮中行事」としての〈乞巧奠/きこうでん〉があります。
伝説の七夕(たなばた/しちせき)
七夕は、〈天の神は、娘の織姫の婿として彦星を迎えた。二人はお互いに一目見て惹かれあい、仲睦まじく暮らしたが、あまりにも仲が良すぎて、織姫は神々の衣を織ること、彦星は牛の世話をすることという、各々本来の役割が疎かになってしまった。天の神は怒り、二人を東と西の世界に分けてしまったが、悲嘆にくれるばかりの織姫を不憫に思い、一年に一度、七月七日の一日だけ二人が天の川を渡って逢うことを許した。〉と、われわれ日本人が子供の頃から慣れ親しんだお噺しです。
神事の棚機(たなばた)
また「神事」としての〈棚機〉があります。
これは、日本古来の禊(みそぎ)の行事で、〝穢(けが)れの祓(はらい)〟と〝五穀豊穣〟を願い、七月七日に新しく織った布を神に献げたものです。
この布を織るのは、特別に選ばれた〈棚機女/たなばたつめ〉と呼ばれる乙女で、彼女は「機屋」と呼ばれる水辺の小屋で神を迎えます。
当然、この〈棚機女〉は織姫(織女星)に由来したものです。
宮中行事の乞巧奠(きこうでん)
「宮中行事」としての七夕〈乞巧奠〉は中国から伝わったもので、宮中では7月7日に〝織姫〟が養蚕や針仕事をつかさどるのにあやかって五色の糸を通した針と海産物を供えて、星を眺めながら裁縫だけではなく技芸全般の上達を祈願しました。
七夕に五色の素麺を食べるのは、この名残と云われています。